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1997年1月22日 “One more time, One more chance”リリース 「この日を永遠に忘れない」

森川欣信(オフィスオーガスタ創設者 最高顧問)

2020年8月25日更新

1997年1月22日。きっとこの日を永遠に忘れることはない。山崎まさよしの4枚目のシングル「One more time, One more chance」がリリースされた日だ。

1995年9月にデビューした山崎はそれまでに3枚のシングル、1枚のフルアルバム、そして1枚のミニ・アルバムをリリースしていた。どれも素晴らしい仕上がりだったし僕に取っても自信作だった。だが売り上げの方は今ひとつだった。
デビューからすでに1年と5か月。山崎は東京での定期的なライブハウス活動で確実に集客を伸ばしていた。札幌STVや大阪FM802といったラジオ番組でパーソナリティーも務めていたこともあり、少なからず札幌と大阪ではファンを獲得していた。

「One more time, One more chance」この曲はデビュー前から既に完成していた。
デビュー前、1994年の正月明けにDEMOレコーディングした時のことを今でもはっきり覚えている。ポリドール第2スタジオ、DEMOということもありマルチテープではないDATテープの2トラックに弾き語りで一発録り。その素晴らしい出来にワンテイクOKを僕は出した。もうこれ以上ないってくらいのパフォーマンスだった。

その後、このテイクにオーバーダビングが施されシングルヴァージョンは完成する。オリジナルの1発録りのものはその後PVで使用されることになった。
「One more time, One more chance」はまさに山崎のキラーチューンとなる曲だと誰もが信じて疑わなかった。何度聴いても胸が締め付けられる圧倒的なテイクだった。だから僕らはこの曲のリリースポイント、その時期をいつにするか?当時シングルリリースには欠かせないタイアップを探して奔走する日々、僕らは嫌という程この曲のプロモーションに日夜奮闘した。
この曲にかけていたのだ。幅広く拡散するためにはそのきっかけとなるタイアップがどうしても欲しかった。そんな時代だった。
だがCM向きの楽曲ではない、まして無名の新人の作品がTVドラマから声などかかるはずもなく、時間だけが過ぎて行った。

山崎目当てでライブハウスに通ってくれる数少ないファンたちもこの曲のリリースを待ち焦がれていた。山崎を知るメディア関係者の何人かもこの曲のリリースをずっと切望していた。なのに僕らはこの曲のリリースタイミングのチャンスを掴めないままでいた。この曲で勝負をかけようと思っているほとんどのスタッフもこのままではリリースタイミングを逃してしまうのではないかと危惧していた。ポリドールもデビューから1年半になろうとしてそのままあまりセールスに変化が訪れない山崎にどこか焦りを感じ始めていた。誰もが次は「One more time, One more chance」で勝負をかけよう、タイアップ全盛の時代であるが例えタイアップが無くてもこの曲をリリースしよう。気持ちとは裏腹にいつまでもこの曲に関わっていられない。そんな雰囲気も伝わって来た。

そんな中、ちょっとした偶然から舞い込んだのが『月とキャベツ』という映画。この映画の主役候補が山崎と同じライブハウスeggmanで共演したのだ。その日、その主役候補のライブを観に訪れていた篠原哲雄監督はライブ終演後、楽器片付けをする山崎の姿に目を止めた。そして後日、篠原監督から連絡があった。つまり山崎が抜擢されたのだ。単館上映規模の小さな映画であったがもう僕らもリリースを待てない状況だった。僕らは迷うことなく「One more time, One more chance」を主題歌にすることを条件に山崎の映画出演を決めた。役者経験がなくても山崎にはなんとも言えない孤独を抱えた雰囲気があった。その佇まいは一言で言えば絵になっていた。生まれ持った対応の気転や言葉のセンスは人を魅きつける何かを持っていた。だから山崎が役者をやることに僕は躊躇しなかった。

映画の打ち合わせが進む中で映画スタッフの方からリクエストがあった。「One more time, One more chance」の歌詞に出てくる「桜木町という歌詞を書き直してくれ」。映画関係者からしてみれば映画のストーリーとは何も関係ない「桜木町という地名」が引っかかったのだ。規模は小さくてもせっかくのタイアップを潰したくない、配給会社からの要望もあり山崎サイドのスタッフもこの申し出に従おうという意見が出た。その報告が僕の耳に入ったのは程なくしてからだった。「それは譲れない。この曲の歌詞は一字一句触らせないし、書き直しもさせない」それは僕らスタッフがこの曲にかける思い入れでもあった。「もし、この映画に縁もゆかりもない地名だとしたら映画の撮影場所を桜木町に変更すればいい」、失礼だとは思いつつも僕は信念を曲げるつもりはなかった。

こちらの気持ちを理解してくれた篠原監督には今でも感謝している。僕にとってもスタッフにとっても、そして何より山崎まさよしにとって重要な作品である。ずっと温めてきた、その機が熟すのを待ち続けた作品である。
「月とキャベツ」は夏の終わりに完成した。映画公開は1996年12月21日。テアトル新宿単館スタートだ。主題歌である「One more time, One more chance」のリリースはその映画公開から1ヶ月後、翌年の1月第4週に照準を合わせた。1ヶ月もすれば映画の効果がこの曲に現れてくるだろう。そんな読みだ。
FM802の大プッシュもあり発売1ヶ月前の年末有線放送で50位台に「One more time, One more chance」はチャートインして来た。僕は期待を胸にワクワクしながら新年を迎えた。

年が明けて有線チャートはユルユルと上昇を重ねていた。なんともじれったい気持ちだ。そして何よりも残念だったのは映画の観客動員が芳しくなく「One more time, One more chance」リリース前に東京では上映打ち切りの話がちらほらと聞こえてきた。だが、この先の大阪上映も決まりつつある。大阪での試写も既に終わり関西在住のメディア人達にも映画は好評だった。有線チャートにもまだ残っている。しかもFM802は「One more time, One more chance」を1月度ヘヴィーローテーションに選んでくれている。めげずに僕はデスクの菅原とリクエストハガキも書いたりしていた。
そして発売元ポリドールに毎日のように、嫌われるくらい顔を出した。たとえ用がなくとも何かせずにはいられなかったのだ。折田社長の部屋を日参しては「この曲はタイアップ無しでも一般に浸透する力を持った作品」、だからCD出荷のイニシャル枚数をもっと積み上げるよう懇願した。

そしてその日はやって来た。朝からポリドールに電話を入れては出荷枚数の確認をした。だが、午後になってもはっきりした数字の連絡は来なかった。ポリドールはリリース日であっても出荷報告の連絡が遅いのは常だった。僕は吉祥寺や新宿のレコード店巡りをしながらポリドールに電話を入れ続けた。はっきりした報告がないのはあまり状況が良くない時に多い。僕は気が気ではなかった。
繋がらない電話を切るとリリース日にはいつも慣習のようにするレコード店での地味な作業、どれほどの効果があるのかわからないが店員の目を盗み、気休めのような地味なCD面出し作業に時間を割いた。この作業というか行為はなんだかとてもみじめな気分になる。

どの店舗にも幸いこのCDは置かれていたが期待するほどの枚数でもなく、まして本人のポスターを店舗先のウインドウに見つけることは出来なかった。それでもいつもよりはレコード店でこの新譜CDを見つけることが出来た。結局数枚のこのCD「One more time, One more chance」を自ら購入、どこか裏寂しい気持ちで日清パワーステーションを目指した。

山崎は仙台からのキャンペーン戻りで既に楽屋入りしていた。なんだか顔を合わせ辛い。いずれにせよまずは発売日の出荷枚数の把握だ。ポリドールの佐野がいつもの軽い調子で現れた。多分、僕は佐野をどやしつけたんだと思う。ポリドールは報告もしないで何をぐずぐずしてやがるんだって。今日の出荷枚数はどうなってんだ!!ニヤケ顔の佐野が僕に言った。「1万枚超えてます」って。「何が?」問いかけておいて僕はその数字が一瞬理解出来なかった。「One more time, One more chanceのバックオーダーが1万枚を超えてるみたいです」佐野はもったいぶった感じでそう言った。僕は言葉を失っていた。なんだか呆然としてその場にへたり込みそうな感じがした。「佐野!」三度、佐野の名前を口にした時、ステージが暗転した。山崎が登場したのだ。女子達がいつもより大きい悲鳴にも似た歓声を上げた。僕は叫び出したい衝動を飲み込んだ!ステージにいる山崎はもう既にこの事実を知っているんだろうか? 山崎、ついにここまで来たぞってきっと僕は心の中で叫んでいた。そしてこのヤローって思った。でもあの時の「このヤローっ」て思ったのは誰に対してだったんだろう?多分、それは山崎、お前は天才より凄いヤツだってことを意味するこのヤローだったのだ。

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