胸の鼓動の鳴る方へ、オーディエンスの手の鳴る方へ
フィメール・ロッカーのレジェンド・杏子が辿った30years




BARBEE BOYSからソロへ
杏子がソロデビュー30周年を迎えた。
彼女がソロシンガーとして初のシングル「DISTANCIA~この胸の約束~」(玉置浩二作曲)をリリースしたのが1992年8月1日。今や日本のロックの伝説とも言えるBARBEE BOYSが8年間のメジャー活動に終止符を打ったのが同年1月。わずか半年でのソロ始動は当時の彼女の迷いのなさを感じさせたが、実はその裏ではさまざまな葛藤があったようだ。
「最初は以前やってたOLに戻ろうと思ったんです。そもそも私はBARBEEに出会えたからプロになれたのであって、BARBEEをやめたらプロで音楽はできないと思ってて。でもオーガスタ創立者の森川(欣信)最高顧問が一緒にやろうぜって声をかけてくれたんです。すごく迷ったけど、そのとき背中を押したのが『CDを出せばライブができるよ』という一言。やっぱり私はライブが好きで、ライブができるのならやってみたい――まあ、やってダメならお嫁に行けばいいかっていう軽い気持ちでした(笑)」
30すぎの人生の転機に杏子が選んだのは、安定でもなく家庭でもなくライブという“生きている実感”だった。
「それは今も変わらないですね。ライブがあるからずっと続けられたし、続けたいと思ったし。こっちが音楽を投げかけてオーディエンスが返してくれると、想像を超えたエネルギーの対流が起こるんです。そんな魔法にかかったようなライブの魅力はBARBEEでやればやるほど感じるようになって、ヤミツキになって。それでソロでも音楽をやりたい!と決断できたんだと思います」
杏子の中心にはライブがあり、ステージがある。そう考えると、スポットライトの魔性の輝きが杏子というアーティストを産み落としたと言えるのかもしれない。


フィメール・ロックシンガーの
草分けとして

杏子といえばBARBEE時代も含め、日本におけるフィメール・ロックシンガーの元祖というイメージが強い。しかし彼女は本来ロック少女だったわけではなく、ポップス全般をまんべんなく愛する音楽ファン。彼女がロックに特化していくのは、この30年間の模索の中でになる。
「そもそもソロデビューにあたって、BARBEEという母体がなくなっちゃったからどうしていいかわからなくて。誰と組んでどうやっていくのかというところからはじまったんです。デビューアルバムの『Naked Eyes』(’92)は結構ロック色が強かったけど、3枚目の『Dear Me』(’95)は前向きな感じを出していこうと〈星のかけらを探しに行こう〉とかに挑戦して。でも当初は前向きな歌詞が恥ずかしくて、自分の中でどう歌っていいかわからなかったんです。そのとき『じゃあ自分の原点は何なんだ?』って考えて、『学園祭だっ!』って思って。初めてライブの歓びを感じたあの瞬間こそ自分の音楽の原点だと気づき、『毎月が学園祭』というシリーズをはじめたんです。その中で〈星かけ~〉が消化できて、自分が歌いたい大切な曲と思えるようになって。そしたら『次はゴリゴリのロックをやりたい!』って気持ちが湧いてきて、土屋昌巳さんとロンドン、間宮工くんと東京で『TOKYO DEEP LONDON HIGH』(’97)を作って。時間はかかったけど、そこでやっと自分のやりたい音楽性が見えた感じなんですよね」
生まれながらのロッククイーンに見える杏子だが、実は繰り返していた試行錯誤。しかし今、彼女は自分の芯にあるのはロックだと胸を張って言えるという。
「今はやっぱり自分はロックが好きだなって思います。ただし、ロックという言葉の持つ意味は30年前やBARBEEの頃とは違ってて。自分の胸がときめくもの=ロックというか。私はスポーツを観に行ってもドキドキすることはあるし、アラン・ウォーカーみたいなクラブサウンドでもドキドキするし。だから私の中では心拍数を上げてくれるものがロック。心臓がロックロックって脈打つような感じなんです(笑)」
身体が反応するものに素直に生きる――それが今の杏子が出したロックに対する答えである。


オフィスオーガスタの“長女”
福耳の杏子として

女性ロックシンガーのパイオニアである一方、杏子を語る上で欠かせないのが所属事務所オフィスオーガスタにまつわる活動だ。オーガスタは杏子のソロ活動をマネジメントするために創設され、彼女と同じく今年30周年。杏子の後も山崎まさよし、元ちとせ、スキマスイッチ、秦 基博、竹原ピストルとビッグネームを輩出してきた。事務所は毎年所属アーティストが一堂に会するオーガスタキャンプというイベントを開催し、福耳という集合ユニットも展開するが、その活動を陰日向なく支えているのが“オーガスタの長女”杏子である。
「オーガスタがあったからここまで続けてこれたっていうのは絶対あると思います。あとヤマ(山崎まさよし)が1999年に野外イベント=オーガスタキャンプを立ち上げてくれたのが大きくて。これで年に一度、所属メンバーが必ず集まるようになったんです。親戚同士もそうですけど、年に一度顔を合わせることで絆も強くなるじゃないですか。だからヤマには感謝してるし、やり続けることの大切さを痛感してます」
オーガスタで杏子が見せるのは、ソロとは異なる側面だ。福耳ではポップス寄りの楽曲を歌い、オーキャンでは女性アーティストみんなで浴衣で着飾るなど毎年ステージを盛り上げる役割を担う。
「2019年のオーキャンでは〈幕末wasshoi〉でヤマと(大橋)卓弥に浴衣で出てもらって一緒に踊ったり、いろいろやりましたね(笑)。オーガスタに来てくれるミュージシャンってみんな才能があるんです。それが私の誇りでもあるし、私の憧れでもあって。みんな尊敬できるミュージシャンってスゴイことだと思いますよ」
個性派ぞろいの面々を時にまとめ、時に魅せ方をプロデュースしてみせる。杏子にとっては30年間、安心できる“家”があったからこそソロでロックに振り切れたところもあるのだろう。


最新作「30minutes」に託した未来
8月10日(実は杏子の誕生日)、杏子は30周年記念シングルを発売した。タイトルは「30minutes」。30年と30分のシンクロに一瞬「ん?」と思わされるが、この曲はまさに30年前の心境を歌ったものだ。
「どんな歌詞にするかZoomミーティングで会議して。恋愛の歌という案も出たけど、自分の30年というものを考えたとき、ソロでやっていくと決めた30年前のあの瞬間――それは本当に30分くらいの間の決断で、初めて自分自身で下した大きな決断で――のことを歌いたいって思ったんです」
30年目の原点回帰。〈I will run〉〈I will fly〉という力強い宣言が織り込まれた歌は、当時の決意を思い出すと共に、次へと進む新たなエネルギーをチャージしようとしているように見える。
では30周年を越えて、これから杏子はどこへ向かうのか?
「これから月イチペースでライブが入ってるんです。9月にはオーキャンもあるし、あと今、あらきゆうこちゃん(Dr)と福田真一郎くん(G)と一緒にKT_merph(ケーティ・メルフ)というバンドをやってて。これは去年出したアルバム『VIOLET』の曲を踏襲するバンド。『VIOLET』はすごく大切なアルバムなので、海外のミュージシャンのようにじっくり長く伝えていきたいと思うんです」
『VIOLET』からはじまった多保孝一とのコラボレーションは、最新作「30minutes」にも継承されている。打ち込みやエレクトロなど新解釈のロックサウンドを手に入れた杏子は、この先も行けるところまで行くつもりだ。
「この前、『NAONのYAON 2022』(4月29日@日比谷野音。SHOW-YA、大黒摩季、中村あゆみ、相川七瀬、CHAI、Gacharic Spinなど出演)に出たときに思ったけど、気が付いたら一番年上でロックのお姉さんみたいになってて(笑)。でもそんな中でちゃんと風を切って歌える存在でいたいんです。常にコンディションに気を付けて、カッコよく歌い続けていたいですね」
胸の鼓動の鳴る方へ、オーディエンスの手の鳴る方へ。30年を過ぎても杏子の巻き髪は、風を孕んで颯爽と揺れている。

ライター:清水浩司

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