ただそれだけ

何があったわけでもないけどさ。

 

正直を歌いたいなと思ったよ。その時、率直に思ったことを何色であれ、「そう思った。」とただ書くだけで。

 

あ。突然だけどさ、俺、素直に謝れない人が苦手なんだ。

間違いがあった事に本人が気づいてるなら、謝るなり、今後修繕して見直してもらうなりするもの。

そういう状況下で、プライドが生じて謝れないっていう奴の「プライド」なんてのはさ、決して誇りなんていう気高いブランドもんじゃなくてさ。膝をついたことを理解できない不感症人間か、あるいは自覚したがらない原始人なだけなんだ。未だに進化できてないんだよ。

自分の無様に気づいてない場合は馬鹿だから得だろうけど、そういった自分の無様を認めたくない人間の言い訳ほど切ないものはない。

また、そういった奴に限って言い訳のボキャブラリーも乏しいものさ。

しばらく、こっちは言い逃れを見てなきゃいけないハメになる。B級のごまかしと、嘘に次ぐ嘘のワンマンショーをね。

 

でもさ、「悪かった。」とか、「ごめんね、気をつける。」で済む話だったりするんだ。

自分にミスがあった場合はそれで済む。それで済まない厳しい世界もあるけれど、...たいていはね。

心無い、「とりあえず釈明」は火に油だけどさ。陰口も意味ない。

 

俺も素直に謝るのは得意なほうではないから、他人のそういった面を見てしまうとすごく複雑な気持ちに苛まれるよ。

何様なたとえだけど、天空から自分を見下げているような気持ちになるのさ。

存在が、米粒にも満たない点になってしまう程高くから見下ろしてね。その小さな点が「だって...」と「でも...」を一生懸命駆使してさ、弁明している様子。

いつかの誰かさんみたいで切ないな、惨めなものだと感じたりね。

俺も嘘はつくさ。嘘をついて、重ねに重ねて、嫌になって、で大体自爆っていうバッドエンドにしかならないから、極力正直で生きていたいと思っているけれどね。

自分のプライドのために嘘をつくことになってしまったら、もう、この瞳から成るこの世のアレコレが一斉に矛盾しだしちまう。

あれ、俺は原始人か?って思ってくるもんだ。やだね、まっぴらだ。

言葉を慎重に選んで相手の問いに答えたのに、意思疎通の行き違いで結局嘘ツキ野郎になってしまうこともある。

 

そんな存在がさ、大層なこと言えないさ。人の在るべき姿なんて説けないし、行くべき道なんて語れない。

TV、ラジオ、コンビニetc.至る所で「君はこう在るべきだ」的なことを歌ってらっしゃる人がいるけど、立派だなって思うよ。

きっと彼らはとても絶対なポイントに達したんだと思う。でなきゃあんなの歌えないんだ、簡単には。

なぜなら僕らは弱いから。とてもとても貧弱で、ヒナのまま生きているからさ。与えられたモノをそのまま飲み込んでしまうから、簡単に誰かにこうなりなさいとは言えないよ。情報の力が凄いんだ。

 

僕らってさ、どんどん受け身になっていってる気がしてるよ。そういった情報や言葉に対してね。

その量の多さのせいもあるけど、何より、いとも簡単に五感に入ってしまう時代だからこそってのもあると思うんだ。確固たる意思を築き辛くなってる気がするんだよ。純然なる意思の壁をさ。

だから守ってくれる壁もない僕らは言葉に対して、ガードもなしに容赦なくパンチを入れられる。それがたとえ一見優しい言葉で、内容は毒でも、正義か悪か判断する基準の絶対を持ち合わせていない僕らは、周りの人間がどう思ったかで判断したりする。

だんだん、他人の目が絶対になっていたりする。とにかく「いざ」という時自分を必要としないんだ。誰かを頼る。

一人っきりで戦うことはきっと不可能さ。生まれながら親に力を借りてる。人の子ならね。

僕も人を見てたくさん判断するんだよ。見よう見まねでギターを弾きはじめたり、お風呂の中がコンサート会場みたいだから誰かの歌を歌って誰かになりきってみたりした。

今自分の歌を歌ってはいるけれど、「純度百・自分」なんて歌は作れっこないなと思ってる。今まで人を見て生きてきたからね。

 

だから、ただ単に、「僕はこう思ったよ。」と歌うのには、間違いは無いと思うのさ。

そう思ったのだから間違いも嘘もないはずさ。

それをいつか誰かが聞いて、「自分はこうも思ったよ。」と歌ったらまた素敵だし、それって夢があると思う。歌わなくても心の中で何か感じたら素晴らしいと思うよ。

 

なぜそう思ったの?って訊かれた時に嘘ツキ野郎になりたくないから正直を歌う。

だから、「本当に、全くもってなんでもないんだな、俺は」と、自分を感じるな。

 

 

 

 

 

 

 

 

...と、今は思ったよ。

2009年4月17日 14:08 nagasawa tomoyuki コメント(0)